「フリムン徳さんアメリカ便り」(第5号)「トシコ ムトーさんの人生を読んで」
                                    

2004.12.4

東京でのフリムン徳さん応援団忘年会も大成功裏に終わり、皆さんから送られて来る喜びのメールを見ては「よう、こんなフリムンのためにやってくれた、おおきに、おおきに、」と感激して涙ぐみました。シアトルでの私の大工時代のお客さんアメリカ人「レイさん」夫婦も飛び入りで参加して、私がシアトルで教えた島踊り(六調)を踊り、国際色豊かな忘年会で、盛り上がったようです。嬉しい限りです。今後ともフリムンになって頑張ります。フリムン徳さんのアメリカ便り第5号です。読んでおくんなはれ。

今度ロスのフリムン徳さんの応援団員になられた有名な漫画家、1世を風靡した漫画家、「トシコ ムトー」さんの人生を読んで、あまりにも感激したので感想文を書きました。読んでください。

「トシコ ムトーさんの人生を読んで」

 地震や、地震や!! グラッ、グラッ、ガクゥー、ガクゥー、と地震にやられているような感動を覚えました。1週間前に読みましたけど、まだ、こんなすごい人が世の中におるんだなあと、頭の中が余震で揺れているみたいです。やることなすことが当って儲けて、また廃人同様になったり、男に逃げられたり、最後は財産は天国に持っていけないから、最後の人生は破産を選んだ。 こんな考え方は普通の人間には通用するはずがない。それがムトーさんの人生です。こんなすごい人生、私の人生で初めて知りました。
97人のJAPANESE IN AMERICAでも飛びぬけて光っています。

 日本の会社で、自分に向いてない仕事だった為、居眠りを頻繁にした。眠くなるとナイフで机に穴を掘る。その穴がどんどん増え、社内中の噂になり、みんなが見に来るようになり、ついに常務にまで知れ渡ってしまった。その常務に首にされるんじゃなく、有名な画廊を紹介されて、またその画廊に「女性自身」を紹介され、漫画「小さな恋人」を8年間連載する。大当たりをする。ピーク期には一ヶ月に週間、月刊、新聞など25誌以上をこなす。ついてる女と頑張る女。

 そんな一人の女性がと言いたいが私は女と言いたい。女のほうがたくましい様に思えるから。そんな一人の女が31歳の時に、スーツケース1個でアメリカへきた。手持ちの金なし、ワーキングビザなし、英語だめ、タイプだめ、車運転だめ、紹介者なしの条件なし。ここはフリムン徳さんの私と似ているが少し違う。徳さんも、パラグアイから旅行のビザで来て、手持ちの金3ヶ月生活分あり、ワーキングビザなし、英語だめ、タイプだめ、大工だめ、紹介者の条件なし、よう似ています。

 彼女はデパートメントのカード売り場で、カリフォーニアカード会社名を発見。早速そこに電話をし、「グリーティングカードの絵を書きたい。入社試験を受けさせてくれ」、と申し込み、採用される。その会社に美術学校行きたいから、奨学資金を出してくれと頼んだら、ほんとに出してくれた。成績がC以下になると取り消すと言われたので、先生に、「私は奨学資金できているので落第すると困る。先生よろしくお願いします。」と必死で頼むと「アー、それぐらい大丈夫だよ」と言われ救われた。 ようこんなにずけずけと誰が言える!!
このフリムン徳さんも、オイルショックの時で仕事がないから、障子を作りますの広告を見つけて、その会社へ乗りこんで一ヶ月ただ働きしますから、使ってくださいと交渉して仕事を取った。

 彼女は今度はアメリカでも一番大きいグリーティングの会社に変わろうと思い、電話をした、作品を送ると確実性が薄いと思い、アポイトメンとを取り、カリフォーニアからミズリー州まで飛行機で飛び、自分の作品を見せて採用された。ここも徳さんが、アメリカのビザを取るための手紙を大阪から出さず、わざわざアメリカの領事館のある神戸の郵便本局まで行って、さらに速達で出したのと似ているようだ

 不景気でこの会社が閉鎖、今度はディズニーの副社長の家の犬と猫に餌をやる仕事を見つける。食事は冷蔵庫の中のを適当に食べてよいとのこと。彼女が食べたものが、副社長婦人が旦那さんのために特注した最高級のものばかり。たちまち婦人の逆鱗に触れ、副社長の書斎に呼ばれた。ここからがムトーさんの催眠術にかかったように会う人、会う人が彼女に有名な会社、有名な仕事、有名な人を世話して行く。信じられんばかりの超有名人、ディズニーランドなど超有名会社の仕事を任せられる。助け神がいつも彼女と行動を供にしているように思えてならない。フリムン徳さんも御客さんから家一軒、もらったり、したことがあるが、ごく普通の人間ばかりだ。ムトーさんの歩いてきた道は高級社会ばかりだ

 自分の自伝「人生は片道切符」をたったの29日で書き上げたらベストセラーになり、映画化までされる。やることなすことうまいこといきよる。なんとついている人。だが、やはりつかないこともあった。40歳から50歳まで10年間直感を全部失い廃人同様の生活を送る。もうこれで終わりと思いきや、そうではない、これからまた素晴らしい活躍をする。55歳になって、家を一軒売って、当時アメリカでタンゴのトップダンサーであったフェリックス チェベッツ氏に入門してアルゼンチンのタンゴを始めた。猛練習をして四ヶ月目にはスープリームアワードと言う特別最高賞も受賞。それだけではない、四つの大会で毎回受賞している。彼女には歳は関係ないのだ。だから、名前もトシコ ムトー?めちゃくちゃの努力家や。

 今度は独学で、四柱推命を勉強して、、財産なんて天国へ持っていけないからとインド人との愛を取り破産する。私もまねしてみたい。でもそこまでの度胸をつけるにはよっぽど、覚悟しないと、悟らないとできないように思う。ムトーさんの人生、私はウヤフジがさせているようでならない。       
 育ち盛りの子供四人を抱えて、針と糸の行商を始め、後に九州一の京染め呉服店を築いた、祖母がダブって見えてくるみたいや。
ムトーさん、元気をくれて、おおきに、おおきに。フリムン徳さん。

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徳さん」の出身地の鹿児島県大島郡喜界島の「小野津集落」は昔からの港でした。集落民の性格は豪放で発展性があり常に島外に目が向いていたようです。島外においては郷友会(郷土出身者の集い)の活動も盛んだということです。私も何故か縁あって知り合いが多いです。結婚式などにもお呼ばれしました。

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