「2日間の天国旅行」第79号
                                    

2012.12.1

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 10月末にフリムン徳さんの同級生の全国大会「全国百之台会in東京」があ
った。人一倍同級生との関係を大事にするフリムン徳さんは、3年前からこの
集まりには是非参加したいと考えて、お金を貯め、皆に会ったときの嬉しさを
どう表現するか“空想”を巡らしながら、スピーチの原稿も用意して、手ぐす
ね引いて待っていたのだが%%%。
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 フリムン徳さんフリムン徳さん応援団の皆さん、この度は本当にお騒がせし
ました。喜界島百之台会(喜界島昭和18年生同級会)に出席するつもりで、
日本旅行に出かけたのですが、直前に倒れて、病院へ担ぎ込まれてしもうた。
目的の「同級生全国大会in東京」には出席できなかった。

しかし、それに代えて、そう簡単には旅行できない2日間の天国旅行に行って
きました。天国旅行の際には、喜界島、東京、大阪からわざわざお見舞いに来
ていただき、また、沢山のお見舞金まで持参していただき、心から、「いっぱ
い、あいがとうさま」と、今、ブラッドレーの山から、叫び続けております。
嫁はんに日本まで迎えに来てもらい、11月11日に、サンフランシスコ空港
に帰着。レンタカーを運転して3時間でブラッドレーの我が家に着きました。

普通の日常生活に戻り、エッセイの勉強と、野菜畑の世話に頑張っています。
天国旅行をしてきて、フリムン徳さんにいくつか変化がありました。
一つ、ご飯が非常においしくなりました。二つめ、身体の疲労がぜんぜんあり
ません。身体が軽いです。三つめ、エッセイの文章が今までよりもスムーズに
書けるようになりました。フリムンの頭が少し、賢くなったようにも感じてい
ます。
ここにフリムン徳さんアメリカ便り第79号を書きました。お笑いくだされ。 
   フリムン徳さん
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「フリムン徳さんのアメリカ便り」第79号 『2日間の天国旅行』
 飼い猫フリムン太郎の話を聞いて、胸がいっぱいになり、思わず涙がこみ上
げた。フリムン徳さんが日本へ旅行に行って、4日目の10月21日にアメリ
カの嫁はんから電話があった。
「フリムン太郎は、毎日、玄関に置いてあるフリムン徳さんの靴の臭いを嗅い
でから、主のいないフリムン徳さんのベッドへ飛び上がって、ちょこんと座っ
ている」と言う。
 
 フリムン徳さんが近寄ると、用心してすぐに逃げるあのフリムン太郎が、
である。エッセイがうまく書けないと、フリムン太郎をいじくり回すので、
家の中では、フリムン太郎はフリムン徳さんをいつも警戒している。フリム
ン徳さんとは一定の距離を置いていた。フリムン太郎はフリムン徳さんを嫌
っているに違いないとフリムン徳さんは思っていた。

 フリムン太郎の様子を聞いて、涙を流しそうになったフリムン徳さんに、
沢山の人が、驚きの涙を流す大変なことが日本で起きた。フリムン徳さんが
呼吸困難で倒れて、病院へ担ぎ込まれたのである。
すぐに二人の医者から爆弾発言があった。
 「もう、この人は死んでいる」−−−−初めてフリムン徳さんを診た医者
 「あと2時間しか持たないだろう」−−−−フリムン徳さん担当の医者
お袋と二人の弟が住んでいる奈良県大和郡山市にある病院でのことである。

「黒い靴下がない、葬式どないしよう」と大阪の妹や、二人の弟は慌てふため
いたらしい。アメリカにいる嫁はん、生まれ故郷喜界島、東京、大阪の親類縁
者、フリムン徳さんの友達、知り合いに、「徳市、危篤」の緊急電話が鳴り響
き、続々と病院に集まってきた。

 病院に担ぎ込まれたフリムン徳さんはすでに意識はなく、天国の入口に立っ
ていた。勢ぞろいしたウヤフジ達(ご先祖様)とフリムン徳さんは対面してい
た。フリムン徳さんの育った故郷喜界島小野津村で子供の頃、聞かされた話そ
のままの天国の入口であった。
「人が死ぬと、ウヤフジ達が勢ぞろいして、天国で待っているから、何も心配
することはない、怖がることもない」
と、村で葬式の度に、おじいさんやおばあさんによく聞かされていた。この度
の天国旅行でも、聞いていた通り、沢山のウヤフジが目の前の三途の川の向こ
う岸に沢山並んで待っていた。三途の川は水の流れのない川だった。

 フリムン徳さんを迎えに来ていたウヤフジ達は全員が丸坊主で、白人のよう
に、色が白かった。皆さん、優しそうな、そして、ぽっちゃり太っていて、一
人も痩せたウヤフジはいなかった。笑顔でフリムン徳さんを迎えてくれた。よ
っぽど、天国は裕福な国らしい。そして、フリムン徳さんを向かえたウヤフジ
達はモダンであった。ウヤフジ達の横に、医療器械のCTが置いてあったのであ
る。彼らはフリムン徳さんに「お前はこの中に入れ」と命令した。

 目の前に勢ぞろいしたウヤフジ達の大きな顔は目でよく見えたが、CT器械は
目というより心で見えた。天国では目は見えるが、耳は聞こえなかった。ただ、
心で聞こえるので、ウヤフジの言っていることは理解できた。ウヤフジ達の
「このCTに入りなさい」という声は耳に聞こえたのではなく、心に聞こえたよ
うだ。あの世では耳はいらないらしい。心で見ることも聞くことも出来るよう
だ。

「よう、生き返った。」
と大勢の見舞い客の、驚きの涙と嬉し涙がフリムン徳さんに降りそそいだのは、
天国旅行から帰って、目が覚めた3日目の病室だった。
皆さんの口々から出るこの世の言葉を聞きながら、フリムン徳さんの頭の中に
いろいろ考えが浮かんだ。

* 皆さんの祈りや呼びかけが通じた。祈りや呼びかけには、生き返るのに効
果があった。
* まだ、この世でやらねばならないことがあるから、天国から返されたのだ。
  「エッセイの達人になりたい」と寝る時に自己暗示の言葉として口ずさん
  でいることがウヤフジに伝わり、「徳市よ、もう少ししゃばで頑張れ」と
「天国入国許可」がもらえなかったのである。
* フリムン徳さんは一度天国の入口まで行って引き返したのだから、あと
  30年、100歳まではお呼びがかからないかも知れない。いいことか、
  悪いことか、どうしよう。
* フリムン徳さんは、葬式代がないから、天国入国を断られたのだ、という
  声も聞こえたが、これは当たっている。
* お前見みたいなフリムンは天国はお断りだと、笑わせる人もいた。
* あんたは、エッセイによく、ウヤフジのことを書くから、ウヤフジが助け
  てくれたんだ。
* あんたのお父さんは若く(57歳)で死んで、生前、お世話になった人や
  親友に何の礼を出来なかったが、あんたはお父さんの代わりにその人達に    
  お礼をしてくれた。死んだお父さんが今度はあんたにお礼として、生き返
  らせてくれたのだ。 
 
 3年間待ちに待って、そのための来日だったのに、「同級生全国大会in東京」
には出席できなかった。再開を楽しみにしていた同級生に申し訳ない。フリムン
徳さんの人生で最も大事なそして、もっとも楽しみにしていた集まりを、急きょ
キャンセルして、奈良の病院から予定外の「天国旅行」に行ってしもうた。そこ
ではウヤフジと面会できた。フリムン徳さんはウヤフジに生かされていると、
確信して帰ってきた2日間の天国旅行だった。
トットゥ ガナシ、ウヤフジ ガナシ!!
                            フリムン徳さん

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