「百の台会東京大会スピーチ」第80号
                                    

2013.1.1

---------------------------------------------------------------------
皆様、明けましておめでとうございます。
旧年中は、「フリムン徳さんのアメリカ便り」を送らせていただき、また、読
んでいただき有り難うございました!
また、本年もこれまでと変わらずお付き合いいただきたくお願いします。
ここに、今年初めての「フリムン徳さんのアメリカ便り」を配信させていただ
きます。
2013年1月1日 
======================================================================
「フリムン徳さん」です。

フリムン徳さん応援団の皆さん、
新年明けましておめでとうございます。
12月21日、人類は滅亡しませんでした。
フリムン徳さんも天国旅行から帰ってきました。
新年は、嬉しい歳になりそうです。
新年も、”エッセイの達人”を目指して頑張ります。
キバランバ、キバランバ、この大きな夢に向かって!!

新年からはフリムン徳さんは毎年同級会に出席します。
去年は、同級会(百の台会)in Tokyoに、初めて出席するために、
日本帰国をしましたが、同級会に行けず、救急車、集中治療室経由、
天国旅行に行ってきました。
同級会でのスピーチ原稿も書いて、スピーチも稽古し、
楽しみにしていたのですが、
天国旅行に行ったため、スピーチは陽の目を見ませんでした。
第80号はこの ”陽の目を見なかったスピーチ”に新年の陽の目を、
見させてもらいます。

-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「フリムン徳さんのアメリカ便り」第80号『百の台会東京大会スピーチ』

Ladies & Gentlemen, I am so happy to see you !!

島ユミタじ、言いば、
「キュラメーラビ、キュラニセイ、ミチ、ワノー、いっぱい、フォーラサ!!」

憧れの百の台会同級会に生まれて初めての出席です。アメリカ・カリフォニア
のモントレーの山奥から来ました。
皆さんの顔を見ていると、生まれ故郷喜界島の昔懐かしい景色が浮かんできま
す。懐かしい涙と嬉しい涙が一度に出そうです。ワノー、54年前の島ユミタは
ぺらぺらです。上園田徳市といいます。アメリカの名前はトムです。またの名
は、「フリムン徳さん」です。小野津出身です。小野津でただ一人のフリムン
です。よろしくご了解願います。
アメリカに住んでもう37年になります。でも英語はインチョウマしかディキラー。
坂嶺出身の嫁はんと、アメリカで、島ユミタで生活しているからです。幼い頃
の島ぬ生活がわっしらランナティどー。
今住んでいるところはカリフォニア・モントレーの山奥、ブラッドレーという
ブドウ畑と牧場の多いアメリカ人の村です。

ロスアンジェルスやシアトル、サンフランシスコにも住みました。アメリカに
住んでいて、英語は出来なくても生活できます。日本人が沢山いて日本人社会
を作っています。でも、今、住んでいるモントレーの山奥はアメリカ人ばかり
の村です。日本人は私と嫁はん二人だけですから、島ユミタばかりです。だか
ら英語は出来まへん。どうか島ユミタでお願いします。

パラグアイで英語の先生だった私の英語がアメリカでは通じなかったので、英
語の要らない大工になりました。見よう見まねで大工さんです。ロスアンジェ
ルス、シアトルで26年間大工をしていましたが、ビールの飲みすぎで、59歳で
身体障害者になり、大工仕事が出来なくなりました。酒で身体障害者になった
アホナ人間です。ホンマのフリムンです。今は文章の書き方を勉強して、物書
きの端くれとして、頭を掻きむしりながら、文章を書いています。ほんまのフ
リムンです。大目に見てくだされ。

早町中学校3年の終わりに喜界島を出て、大阪、南米パラグアイ、ロスアンジェ
ルス、シアトル、サンフランシスコ、モントレーを、50以上の職業を変えなが
ら70年間、酒と共に、ウヤフジと共に生きながら、幸福という青い鳥を探し続
けて生きてきました。私は今日ヤット、人生70年にして青い鳥を見つけました。
幸福という青い鳥を見つけました。今日は私の70歳までの人生で一番幸せな
日です。こんなに嬉しい日はありません。こんなにフォラサナ日もありません。
心も身体もブルドーザーのように地響きを立てて震えて喜んでいます。私の捜
し求めていた幸福の青い鳥とは喜界島の同級生でした。

2003年の喜界島での「還暦百の台会」のビデオを、久子と和世から送ってもら
って見ました。皆さんが、この世の中で一番幸福な顔で、幼い頃の小学生、中
学生に戻って、語り合い、踊り、歌い、はしゃいでいるのを見て、「人生の幸
福とは何か」の答えは、「喜界島の同級生に会うことだ」と確信しました。そ
れ以来、生きているうちに、どうしても一度は同級会に出席する事が私の一番
大きな夢になりました。

死ぬまでに一度は喜界島の同級会に出席して、皆さんと幼い頃の昔話をし、島
うどぅい、ドンドンシェー 、徳之島チュッキャリ節を踊ったり、はねたり、
朝バナー、塩道らんかん節、坂元林緑濃くを歌ったりするのが夢でした。これ
が皆さんと一緒に出来たら、もう、この世の極楽を見たのと同じと思います。

関西大会の時の福利さんの話も忘れる事が出来ません。福利さんは、病気を押
して、関西大会に出席した。奈良のあるお寺の、大きな柱にあいている丸い穴
をくぐりぬけたら、病気が治ると聞いて、くぐりぬけたのだが、 その時、真っ
先に、頭の中に浮かんだのは同級生の顔だったと言っていました。あの言葉が
忘れられません。喜界島の同級生に会えば、病気も治るのです。このフリムン
徳さんのフリムンという病気も同級生に会えて、今日は治りました。今は、も
う正常です。病気になったら、医者なんかに行く必要はありません。病気は同
級生に会えば治るのです。

数え切れないくらい同級会のビデオを見たので、とうとうテープが切れてしま
いました。賢い久子と和世はそれを見越して、同じテープを二つも送ってくれ
ていました。これが惚れずにいられまっかいな。お二人の顔が大きく見えまし
た。マスマス、べっぴんに見えてきました、惚れ込みました。今更、結婚なん
かできるはずがありません。モントレーの山奥で、酔えば、涙で濡れた酒のし
ずくで、俺の苗字の下に、あなたの名前を、上園田久子、上園田和世と書き、
偲び続けています。お二人の旦那さん、ここはフリムンのたわ言だと、ユルチ、
タボーリ。

私には家族も親戚も友達もいますが、同級生が一番大事です。私の本を出版し、
売ってくれたのも同級生です。別れて50年以上も音信不通であった同級生の、
遠く離れた外国アメリカの私を助けてくれたのです。同級生には、過ぎた年月
はないのです。遠く離れた外国もないのです。昔のままの喜界島の幼い小学生、
中学生のままがすぐそこにいるのです。
今回私はこの島の同級会の楽しい、嬉しい思い出を胸いっぱい、腹いっぱい、
ワタブー吸い込んでアメリカに帰るつもりです。同級生を思い出すたびに、喜
界島の方向に向かい、またも酒のしずくを涙でぬらしながら、人差し指で、
「また、喜界島の同級生に会いたい」と書き続けるつもりです。  
                            フリムン徳さん

徳さんのページへ戻る


 

「フリムン徳さんの波瀾万丈記」のご注文は下記へのご注文でも出来ます。(文芸社)
※電話、FAXでのご注文は以下の通りです。(受付時間 8:30〜20:00)
 TEL:03-3817-0711 FAX:03-3818-5969
※海外からは次の番号へ別途お問い合わせ下さい。 (受付時間 8:30〜20:00)
 TEL:81-3-3817-0711 FAX:81-3818-5959

此方の画像及び文章は制作者の許可を頂いて掲載していますのでご利用はご遠慮下さい。03.10.29

/ 前へ戻る / 喜界島.comへ戻る /   

     

無料アクセス解析レンタル掲示板無料ブログ作成掲示板/日記/ブログ無料