『小泉首相の息子さんの喜界島来島800年を記念して、喜界島「島興しコンサート」が5月22に喜界島で開催されました。』
いや、ほんまの事を言うと、今テレビで放映されている「義経」にでてくる平資盛が喜界島に来島して800年になります。その資盛の役を演じているのが小泉首相の息子・孝太郎さんで、その孝太郎さんから「島興しコンサート」にメッセージが届いたそうです。そして、平資盛の子孫に当るのが鹿児島黒豚で有名なロイヤルポークの平邦範さんです。フリムンソングも彼と吉久男さんのお蔭で誕生しました。
フリムンの私は5月19日にこの『島興しコンサート』の『ニュース予報』を出しました。天気予報は外れることもありますが、フリムン徳さんの『ニュース予報』がぴったり当りました。
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『ニュース予報」 5月19日
喜界島に前代未聞の事が起きた。時は5月22日2005年、雲ひとつない快晴の日。飛行機で空から見ると喜界島は青い太平洋の中にぽつんとひとつだけ浮かんだ緑色の雲にも見える。さらに高度を下げる。島のどの集落の家に誰もいない。これはどうした事だ。島中の人はいったいどこへ消えたのだ。いや、消えてはいなかった。
喜界町自然休養村ホールに、若者達、おとー、おっかー、アジー、アンマー、ワラビンキャー、喜界島中の人間が集合して、富田勝巳の島歌に酔いしれ、吉さんのフリムンソングで、シバイ シイ(オシッコ)も忘れ、スッ マイ(ウンチ)も忘れてフリムンになって踊りまくっている。すべての観客が出演者だ。徳島の阿波踊りでもない、リオのカーニバルでもない。喜界島中の人を興奮の渦に巻き込んだ「平資盛 喜界島来島800年記念 島興しコンサート」なのだ。これはきっと日本全国に知れ渡り、喜界島の大きな宣伝になり、そして、喜界島のうれしい、楽しい歴史として残る事でしょう。
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『ニュース予報」は当たったのか、気にしていたところへ、鹿児島黒豚「ロイヤルポーク」の平邦範さんからこんなえらいメールが来ましたんや !!
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徳さんへ
私は、コンサート当日、最初の便で鹿児島空港を喜界島に向かって飛び立つたのですが、折しも奄美地方は梅雨時、雲が低くたれ込め視界不良。二度ほど喜界空港に着陸を試みたのですが、着陸できず、うらめしーいまま隣の奄美空港へと運ばれました。
喜界島にたどり着きたい一心で、海も大荒れだけど、航空会社がチャーターした高速艇に乗り込みました。猛烈な揺れだ。800年前の平資盛の心境になつて、荒れる海原を50分かけて喜界島に上陸しました。喜界島のウヤフジが助けてくれました。いや、平資盛が助けてくれました。
『島興しコンサート』は、おかげさまで大盛況でした。徳さんの「ニュース予報」の通り喜界島では前代未聞のイベントでした。
当初の計画では昼間だけの公演の予定でしたが、進めるうちに、反響の大きさに夜の公演もセットしました。昼夜とも450席では足りず、立ち見がでるほどでした。豚味噌の美代ねえも小野津の昔のメーラビを大勢引き連れて楽しいひと時を過ごし喜んでいました。 吉さんの「フリムンソング」には徳さんの紹介を交え、急遽、踊り連も入り盛り上がりました。
今回のイベントのテーマは「素材は歴史、喜界島がステージ、島民が主役」。このテーマに賛同して「フリムン徳さん応援団」の貴重な財政の中から協賛をいただきありがとうございました。 アメリカからの
逆輸入の『フリムン』で島ではフリムンブームが起こりそうな気配です。
本日は、ご報告、お礼まで。 鹿児島黒豚「ロイヤルポーク」 平邦範
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平さんへ
この成功に侍の平資盛さんが鎧、兜は重たいからはずして、ふんどし一丁になって「この島興しを見よ、源氏どの!!」と泣いて喜んでいるでしょう。
フリムン徳さんも感激して、またしても「虹色の涙」でむせび泣いています。
平さん、吉さん、よう頑張りました。
フリムン徳さん