「フリムン徳さんのアメリカ便り」 第20号   『強く、たくましく』
                                    

2006.2.1

 ああっ、松が。岩の絶壁に突き刺さるように生えている綺麗な枝ぶりの松。
それがいくつも点々と描かれて行く。青い海に浮かぶ松の木の盆栽だ。海の青
さに松の緑が映える。車内に大勢の人がいるのも忘れて、思わず叫びそうにな
った。観光バスの中だ。海にせり出ている高い岩の絶壁には緑の草一本もない。
松だけがぽつんぽつんと一本づつ孤独に生きている。そんな景色が延々と続く。
人間は贅沢に生きている。水分もない、土もない岩の上でこんなにたくましく、
綺麗な姿で生きている松に、不自由なく暮らしている人間は感動する。カリフ
ォルニア・モントレーの海岸のこの岩の松は、日本から来た観光客の脳裏に焼
き付き、その美しさに満足して、日本へ帰ったらお土産話にするだろう。ここ
は綺麗な海岸で有名なゴルフコース・ペブルビーチの観光コース「17マイル
コース」の上にある。私は、観光バスガイドの助手としてこのバスに乗ってい
る。

 26年間ロス、シアトルで主に茶室、障子、すしバーを作る大工をしていた私
は長年のビールの飲み過ぎで足が大きく腫れて、リュウマチ、関節炎、痛風で
大工仕事が出来なくなった。そこで、サンフランシスコのサンフラワーという
日本人経営の旅行会社に入って、ガイドの助手になった。今から10年前の話だ。
初めはもっぱら、日本のお客の飛行場、ホテルへの送り迎えだ。空港の到着ゲ
イト前で「○○××団体様」と書かれた立て札を持って待っているのである。
つい一ヶ月前までは腰にハンマーを下げてタオルで鉢巻をしていた男が、背広
にネクタイ、ぴかぴかの皮靴を履いて立て札を手に立っている。その胸には旅
行コーディネーター「徳さん」と印刷された立派な名札が相応しくなく貼られ
ている。間違いなくぴかぴかの旅行コーディネーター一年生の「徳さん」や。

「なんや、あの人、大工の徳さんとそっくりやなあ」。
「でも徳さんは大工のはずやでー」。
「徳さんが空港でガイドで働くはずがない」。
「いや、徳さんは何でもする男やさかいに今日は、ガイドさんのそっくりさんの
姿をして、話のネタをつくっとんのとちゃうか」。
「試しに、声掛けてみたろうか」。
「ちょっと、すんまへん。ひょっとしたら、あんた、大工の徳さんとちゃいまっ
か」。
 と、もし顔見知りの人に会うて、こんなことになったらどうしよう。不安と、
恥ずかしさで、逃げ出したい気持ちで立っている。
「でも大工さんでも、サンフランシスコでガイドさんできまんねやなあ」。
 と、何も聞かないでそーっとして立ち去ってほしいネン。

 旅行コーディネーター「徳さん」と書かれた胸の札は、生れ育った喜界島の
小学生一年生ときの胸のポケットに縫い付けられた名札を思い出させる。
「皆さん、私の名前を『徳さん』と覚えて下さい」。
 そうや私は旅行コーディネーターの一年生や。材木に囲まれて材木の顔ばか
りを見ていた私が、空港で人に囲まれてゲイトから出てくる日本からのお客さ
んを待っている気持ちは、海に囲まれて育った喜界島から始めて出て来て、人、
人で埋め尽くされた大阪駅のホームで迎えの人を待つ、心細い心境と同じや。
人生、同じことの繰り返しや。私は50歳を過ぎて、またサンフランシスコで喜
界島の少年の頃と似たようなことをしていた。そして、大工仕事が出来なくな
った私はガイドという新しい仕事でまた強く生きて行こうと思っていた。

 空港やホテルへの送り迎えを2週間ぐらいすると、次はサンフランシスコ近辺
やヨセミテ観光のバスガイドの助手になった。私が始めてプロのバスガイドの
助手として乗ったバスがモントレーの「17マイルコース」だった。サンフラ
ンシスコを101号線で南へ下り、ギルロイのアウトレットに立ち寄り、モント
レーの町を通り抜ける。海岸沿いに作られた絵葉書みたいに綺麗なぺブルビー
チのゴルフ場を過ぎると、間もなく「17マイルコース」に入る。途中、プロ
のバスガイドは随所随所の歴史を説明したり、お客さんを笑わせたり、退屈さ
せない。モントレーの町に入る手前のサンドシティは砂の豊富な海岸が続く。
なんとこの砂はハワイのワイキキの海岸へ運ばれているそうだ。どこでこんな
ネタを仕入れてくるのだろうか。他にも珍しいネタの話がいくつも出てくる。

 ペブルビーチゴルフ場を過ぎて、「17マイルコース」にはいる手前の海岸線
の岩に生えている松が先程の松だ。その美しさに私は心を引かれた。それと同
時に、どうして、水もない、土もない硬い岩の上に松の木は育つのだろうかと不
思議に思った。私の疑問は、プロのガイドさんが見事に説明してくれた。

「松の木は、根の先から根酸という酸を出し、その酸でわずかずつ岩を溶かし、
養分を吸収していくのです。根は成長して更に岩に強く深く入り込んで、根も
幹も太くなっていきます。針状の葉っぱは気孔の数が少なく水分の蒸発を抑え
ます。わずかな水で生きられるよう神様が工夫してくれたのです。枝や葉は風
雪に耐えて自然の美しさを整えていきます。そして鮮やかな緑を失いません」。

 松は、逆境に強いだけに、強靱で折れにくく、家の梁などにも使われる。大
工を辞めて、まったく別世界のバスガイドという職業で、生きていけるかと心
細かった新米ガイド助手の私の頭の中に、松の木のように「強く、たくましく
生きる」という言葉が大きく書かれた。

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徳さん」の出身地の鹿児島県大島郡喜界島の「小野津集落」は昔からの港でした。集落民の性格は豪放で発展性があり常に島外に目が向いていたようです。島外においては郷友会(郷土出身者の集い)の活動も盛んだということです。私も何故か縁あって知り合いが多いです。結婚式などにもお呼ばれしました。

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