「フリムン徳さんのアメリカ便り」第25号「求む、ネタさん」
                                    

2006.5.10

ネタ探しには苦労してまんね。
 ねじりはちまき寿司のネタではおまへん、エッセイのネタです。さんをつけ
て「ネタさん」と言いたいぐらいネタが欲しいのです。病に倒れ、26年間やって
きた大工の仕事が出来なくなったので、3年前からエッセイの勉強を始めてい
るのです。ねじりはちまきに、のこぎりで木を切り、ノミで穴をあけ、ハンマ
ーでくぎを打つ仕事から、机に座り、指でコンピューターの文字盤を叩き、文
章を書く仕事に大転換したんや。肉体労働者から頭脳労働者に大変身です。

 文章を書くのは大工には全く似合いまへん。グローブをはめたような太い頑
丈な指、ディスプレイ上の文章を何度も読み返しながらストーリーや言葉を探
しあぐねる脳みそ。肉体労働者と頭脳労働者では、鍛えてきた体の部分が違い
すぎます。大工は重い材木をかつぎ、どっしりした足腰と太い腕で柱を押っ立
て、バンバンと五寸くぎを3、4回でたたき込み、額から汗を流しながら働き
ます。仕事が終わると冷たいビールをごくごく飲み、思い切り酔っ払って寝ま
す。翌朝は、また、元気よく仕事に取りかかります。

 エッセイ書きはそうはいきまへん。朝昼晩、目に見えるネタ、目に見えない
ネタを探さなければあきまへん。それを文章に組み立てていかなければなりま
へん。ネタは材木のように店から買ってくるわけには参りまへん。毎日がネタ
探しでんがな。酔っ払ってはおられまへん。お陰で酒量も減りました。肝臓が
喜んでおります。
 292ページの「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版した頃はネタには困りま
せんでした。喜界島、大阪、パラグアイ、アメリカと渡り歩き、50種以上の職
業を変えながら放浪の人生をやってきたから、おもろい、怖い、とんでもない
経験が仰山おましたんや。その経験がネタになりましてん。ただ、ネタもお金
も増やさないで使うばかりでは、いつか底をつきます。思い切ってアフリカに
でも渡り、ライオンと仲良しにでもなればおもろいネタが生まれるかも知れま
せんが、ここ「山の砂漠」ブラッドレーでは、ネタが生まれる「土壌」があり
ません。エッセイ集の出版後、1年もするとネタに困り出しました。

 1週間も2週間もネタがなくてエッセイを書けない時があります。イライラが
募ります。コンピューターの文字盤にいくはずの手がいつのまにか頭に行って、
エッセイを書かないでボリボリ頭を掻いているのです。それから左肘を机に突
き、その手にあごを乗せてロダンの「考える人」になります。そして、コンピ
ューターのモニター画面を藪にらみするのです。頭には何も浮かびません。何
とはなしに、インターネットでニュースを読んだり、他人のブログを覗いたり
します。メールソフトの「メールを読む」ボタンを何回も何回もクリックします。
新聞よりも他人のブログよりも自分あてのメールを待ちわびているのです。こ
の忙しい世の中、他人も自分のことで手一杯なのはわかっておるのですが。

 コンピューターをいくらいじっても埒があかないので、コンピューターは放
って、次は庭に出ます。庭の周りの草、花、木を丹念に眺めます。大工の頃と
違い、注意深く、枝、花、葉っぱを見ます。花びらの数を数えたりもします。
木の葉っぱは表だけじゃなく、裏も見ます。何かエッセイのネタになるのがあ
るんじゃないかなあと期待しながら、見るんじゃなくて観察するのです。注意
深く観察するようになりました。たかが、いつも使っている湯飲みでもそうで
す。湯飲みを手にとって撫でまわし、その次は底も見ます。焼きの名前も知ら
んのに、何焼きかなあと思いながら見ます。どうしてこんな形に、こんな色に
したんやろうか、作者は男か女かと考えたりもします。又、指で叩いて音も聞
いたりします。それでもなかなかネタは思いつきまへん。

 ある時は空想してネタを探します。
 そうだ、飲みに行くのもいいなあ。昔よく行った大阪の北新地の馴染みのバ
ーが、最近ここ「山の砂漠」に支店をオープンしたんや。いま、バーに入って、
ソファーに座ったところや。でも別嬪のホステスさん、ママさんはいてまへん。
近くの牧場の牛や馬、お年寄りを集めてのバーでんがな。ホステスの女性は20
歳以上、上は制限なし。90歳でもOKです。腰が曲がっていてもかまいません。
容姿関係なし、別嬪さんだろうが、ブスだろうが、顔に皺があろうがなかろう
が、かめしまへん。英語、スペイン語、日本語、言葉も関係おまへん。ホステ
スさんは女であったら、誰でもいいのです。店の中は思い切り暗くしてありま
すから。
 ボーイは牛や馬にやってもらいます。バーの入り口で馬のボーイが 「いら
っしゃいませ、徳さん、ヒヒヒーン」 と顔を振ってお迎えします。帰りは牛
のボーイが「徳さん、モー、お帰りですか、モー、モー」と鼻の穴を大きくし
て泣きながらお別れしてくれます。こんなバーが「山の砂漠」の中にあっても
ええやおまへんか。

 私はこんなアホな空想までもしながら、「TVファン」誌に継続して掲載し
てもらうために、また、シアトルの「北米報知新聞」の「徳さんのフリムンエ
ッセイ」シリーズを続けてもらうために、「ネタさん」を探し続けています。
ホンマ、シンドイネン。でも、諦められまへん、諦めたらアカンねん。
                       フリムン徳さん

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徳さん」の出身地の鹿児島県大島郡喜界島の「小野津集落」は昔からの港でした。集落民の性格は豪放で発展性があり常に島外に目が向いていたようです。島外においては郷友会(郷土出身者の集い)の活動も盛んだということです。私も何故か縁あって知り合いが多いです。結婚式などにもお呼ばれしました。

「フリムン徳さんの波瀾万丈記」のご注文は下記へのご注文でも出来ます。(文芸社)
※電話、FAXでのご注文は以下の通りです。(受付時間 8:30〜20:00)
 TEL:03-3817-0711 FAX:03-3818-5969
※海外からは次の番号へ別途お問い合わせ下さい。 (受付時間 8:30〜20:00)
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