ワテはフリムン太郎と申します。
姓も名もありますが、ワテは人間様ではありません。ワテは様付けで呼ばれなく、
ちゃん付けで呼ばれるネコちゃんです。ワテのおとうちゃんが作家の向田邦子が
自分の猫に"向田鉄"と名字までつけたので、その真似をしてフリムン太郎と名
づけらたのです。
ワテは太郎という名前をつけられた雌ネコであります。雌ネコなのに、男の名前
のネコと変わっていますが、毛色も変わってまんのです。シャムネコみたいに、
上品な毛色でもおまへん、三毛猫みたいに茶色と白黒でもおまへん。もらわれて
来た生まれて間もない頃はグレーがかった、ブルーの、それは珍しい色でしたが、
だんだんと大きくなるにつれ、ネズミ色が濃くなって、生まれて1年近くの今頃
はとうとう完全なネズミ色になってしまいました。ネズミを獲る取る猫がネズミ
色になった。これは、今はやりの地球温暖化のせいかもしれまへん、どうかお許
しください。
ワテのおとうちゃんも、「おとうちゃん」と"ちゃん"づけで呼ばれるからネコ
と思いはりまっしゃろうが、ネコではおまへん。おとう"ちゃん"と呼ばれても、
ちゃんとした人間様でおます。
おとうちゃんの名前はフリムン徳さんと申します。4年前までは立派な大工の徳
さんと「さん」付けで呼ばれていたのですが、長年のビールの飲みすぎで4年前
に痛風で倒れて、大工仕事ができん身体障害者になりました。ベッドの中で文章
の書き方を勉強して、「フリムン徳さんの波瀾万丈記」という本を出版してか
らは、「フリムン徳さん」と呼ばれるようになりました。
フリムンとは喜界島の方言で、常識を逸脱して行動をする人のこと、大阪弁の
"
アホ"に似た言葉です。自分ひとりがフリムンと呼ばれるのは寂しい気持ちもあ
ったから、ひとりでも仲間がいれば心強いと思って私に「フリムン太郎」と付
けたようです。
私に男の名前を付けた理由はそれだけではありません。もっと深い理由があった
のです。彼は病気で倒れるまではバリバリの大工さんでした。59歳に倒れるまで、
26年間、大工とビール一筋にわき目も振らず、我が道を邁進してきた男はんで
す。嫁はんにも気を使うことも知りまへんでした。ところが病気になってからは、
目が覚めて、嫁はんにも、他人様にも気を使うようになりました。少し世間様の
男はんと同じようになったのです。特に、嫁はんには、今までとはうって変わっ
たように気を使うようになりました。
大工さんの頃のように、朝、早よう家を出て、夜遅そう、家に帰ってくるので
はありません、今は1日中、家でコンピューターに向かってエッセイばかりを書
いているのですから、息抜きの相手にワテを飼ってくれたのです。エッセイを書
きながら、うまく書けない時は今までは自分の頭を掻いていたようですが、私
を飼ってからは、「太郎、太郎」とうるさく私をしょっちゅう呼びつけて、撫
でまわして触りたがるのです。
ある日、ワテはおとうちゃんにアタスカデーロのペット病院へ検診に連れてい
かれました。おとうちゃんは医者にワテの名前を聞かれて"太郎"と言いました。
そしたら医者は「"とろ"ですか、おいしそうな名前ですねえ」とニヤニヤしな
がら、"トロ、トロ"呼んでくれました。その医者はすしが大好きでサンルイス・
オビスポのすし屋さんへ毎週1回寿司を食べに行くそうです。どうも、寿司好き
のアメリカ人には太郎はトロに聞こえるようです。ワテは、トロか、太郎か、どっ
ちをとろうか迷いました。
ワテは女ですから、男の名前よりは魚のトロのほうが皆さんに喜ばれるから、
ええなあとも思いますが、飼い主のおとうちゃんに命名権があるのですから、
どうにもなりまへん。
ワテは1年近くフリムン徳さんと住んで、なぜ女のワテに太郎"と男の名前"を
つけたかわかりました。おとうちゃんはエッセイが上手く書けないと、すぐに
" 太郎、太郎”と私を呼んでいます。1日中、朝から、晩までです。そうしたら、
私も「俺はひょっとしたら男かもしれない」と錯覚する時があるのです。私の
場合はそうです。ところが徳さんの嫁はんにしてみれば、また違う受け取り方
をするはずです。
たとえば、私の名前が女の名前で、「愛子、愛子」と徳さんが毎日私に呼んで
いたら、嫁はんはやきもちを焼くに違いありません。ワテは徳さんが女のワテに
「太郎」と男の名前をつけた理由がわかりました。フリムン徳さんはフリムン
でも立派なフリムンだと尊敬しています。だから、ワテは徳さんのためにこの
まま男の名前で生きていきます。
フリムン徳さん