(1)バスの旅、サンフランシスコ
アメリカ人が一番行きたいアメリカの街はどこか?
ある新聞で統計を見たことがある。それは異国情緒豊かな街サンフランシスコと書いてあった。隣と壁が引っ付いた積み木のような小さな家が、坂道に沿って、丘の上にずらりと並ぶ、色とりどりの家並み。摩天楼の高いビルの裾をぐるぐる巻きにして並んで、ケーブルカーに乗るのを待っている人間たち。芋の子を洗うようなマーケットストリートの沢山の人間達。東洋人、ヨーロッパ人、アメリカ人、顔かたちの変わった世界中の人間たちが、何かを求めて、うようよと歩いている街、サンフランシスコ。
行列の出来ている有名なピザ屋で、英語を話すはずと思っている白人が、何語かわからん言葉で、ピザを注文して、店員が首をかしげて難儀している。白人は英語ばかりを話さない。ほかの国の言葉も話す白人を目の前にして、めずらしがる。でもここは英語を国語とするアメリカのサンフランシスコなのだ。ここでは誰もの顔が平等に見える。金持ちでもない、貧乏人でもない、中間層の顔をしている。旅行スタイルの服装がそうさせるのか。
私は 10月16日と17日、2日間、グレイハンドバスでそのサンフランシスコへ「人間観察」に行ってきた。コンピューターで切符を2週間前に予約すると、84ドルの往復切符が58ドルで買える。私の住む山の砂漠と呼ばれるブラッドレーから車で北へ3時間のところだが、バスだと5、6時間以上もかかる。いろんな町でお客さんをピックアップするからだ。いや運転手が道を間違えたり、コースを変更したりするからでもある。私はこの頃グレイハンドバスで、ロスへ何回も行っているから、グレイハンバスの事情がわかってきた。
町に住んでいる人は田舎へ行って自然を楽しみたい。山の中に住んでいる私は、町の人ごみの中へ行って、歩いてみたい。私の場合は街の見物よりも人間観察が興味がある。もっと欲をいえば、人と触れ合って、何か楽しい思い出を作りたい気持ちが心の奥にあるようだ。でも知らん人に声をかけて、そう簡単に友達にはなれない。触れ合いというのは何かよっぽどのチャンスがないとできないように思う。
朝5時50分に隣町パソロブレスのターミナルで、グレイハンドバスに乗った。手擦りを持って、4階段を上り、座席に座ったとたんに、これから旅に出るんだという、「旅」という字が目の前に見えたような気がした。窓寄りの座席に腰を下ろすと、2階建てのバスに乗ったような気持ちになる。目に見える景色が変わる。私が立ってバスを待っていたコンクリートの道が、少し変わったようにも見える。今まで見上げていた建物の軒下が、同じ高さに見える。自分で車を運転して、見ている同じ景色が少し違って見える。同じ景色なのに、少し高いバスの座席から見る見下ろしの景色が『旅』という気分になるのだろうか。飛行機の旅は空港に着いた瞬間から旅の始まりを感じるが、バスの旅はバスの椅子に乗ったら旅の始まりを感じる。
午前11頃、バスはサンフランシスコ・ダウンタウンのバスターミナルに着いた。ミッッションストリートと1番街の交差したところで、マーケットストリートのすぐ近くだ。10年前、ほんの少しの間、リムジンで、バスガイドとして、日本からのお客さんをホテルに送り迎えして、マーケットストリートはよく通った。10年で、これだけ沢山の新しい高いビルディングが建ったものかと、様変わりに驚いて、地図を頼りに3ブロック離れたマーケットストリートまで歩くことにした。たった15分か20分歩くのがえらい、しんどい。いつも車を乗っている自分が目の前をスイスイと走っていく車を見たら、歩いている自分が貧乏人のような気がして、気落ちする。車を乗らない人は貧乏人のような気がする。ほんまは貧乏人やのに、その貧乏人自身が自分を貧乏人やと思うことに、おかしくなる。
1ドル50セントを払って古いチンチン電車に乗った。乗っている人間に白人が少ない。どの人の顔も、肌色も違う。電車は人種の混ぜご飯の釜みたいや。私の住んでいるブラッドレーは白人だけの白いご飯の茶碗みたい。まったく雰囲気が違う。こんな混ぜご飯の中にいると、人種差別という言葉が要らなくなる。劣等感も消えてくる。でも混ぜご飯の中では言葉が通じんから、困るような気もした。サンフランシスコは変な街だ、おもろい街の様だ。
た
チンチン電車はビルの谷間を縫ってすぐに海の見えるフィッシャーマンワーフに着いた。海岸通に沿って、びっしり建ったじゃなく、びっしり並んだみやげ物店を世界中からの見物客がこれまたびっしりと、物色しながら、ぞろぞろ歩いている。世の中景気がいいのだろう。同じカニを売る店、同じカニの料理を食べさせる店が同じ通りに沢山並んでいるが、10年前と違う。店のオーナーが東洋系、アラブ系の人が増えてるように思われる。そのうちアメリカは白人は外国系におされ気味のようだ。
増えたのは見物客だけではない。それを目当てに大道芸人が増えている。唄って、踊って、似顔絵を描いて、自分の芸で歩く人からお金をもらう。ところが、その中で、お金をもらうだけじゃなく、たまにはものをお客さんに渡している芸人を見つけた。「これはおもろい」と私は近くのベンチに腰を下ろして観察することにした。 顔中、目も、耳も、鼻も、口も、首筋も、頭にかぶった鳥打ち帽も、着ている作業服みたいな雨合羽も、すべて、銀色がかったねずみ色に塗りたくっている。でも全体の輪郭から黒人とわかる。黒人はねずみ色になっても黒人とわかる。独特の顔の輪郭だからなのだろう。両膝を少し曲げて、顔を少し斜めにして、口を尖らせて、少し口を開けて、右手の先に飲み物の紙カップを持って、20センチほどの台の上にじっと静止している。銅像、銅像と思い込んで、ただ通り過ぎる人も多い。そんな時、彼は手に持った、紙コップを少しだけ動かす。それに気づいた人ははっとした表情になる。「銅像」が「金を入れてくれ」とコップに言わせているのだ。
「銅像」は口を利いたらアカンのだ。私が若い頃、大阪で叩き売りをしていた時は、大声を張り上げて、わめいて、おもろいことを言ってお客さんの足を停めていた。この「銅像」になった彼は声を出さないで、お客さんの足を止めている。お客さんの足の止め方にも色々ある。1ドルをコップに入れて、「銅像」と一緒に記念写真をとる子づれの人達が多い。「銅像」はこれらの子供達に、足元においてある缶の中から、キャンデーをやっている。この時は「銅像」は動く銅像になる。これを無愛想な銅像の愛嬌と言うのやろうか。
見るだけで1ドルやる人もおれば、彼と一緒に写真を撮って1ドルやる人もいる。どうも相場が1ドルのようだ。貧乏人のフリムン徳さんはベンチに座り込んでじっくりと観察をさせてもらったから、気前よく、1ドルをやった。日本のサンフランシスコ観光案内の本に「1ドルやりましょうね」と書いてあったからでもある。もとレストランで働いた経験のある嫁はんは、レストランへ行くと目いっぱいチップをやる。嫁はんの影響が少しあるかもしれない。でもそればかりではない。チップ社会のアメリカに住んでいることの影響が大きい。映画を見に行っても金を払う、芝居を見に行っても金を払う。だから大道芸人の芸を見て金を払うのは当たり前と思うようになった。
「銅像の芸」を見て立ち止まる人も多いけど、「銅像の芸」にお金をあげていく人は非常に少ない。「銅像」はどのように生活しているか気になる。1時間ほどして彼は店仕舞いをして帰りかける。私は、動き始めた「銅像」に歩み寄り、「もう帰るのか」と聞いた。「今日は潮の流れが悪い」。銅像はぽつりと言う。魚釣りのようや。彼は「金釣り」をしていたのだ。私が今日昼間に声をかけたのは、「銅像」がたった一人だった。たった一人とのたった一言の触れ合いだった。旅先で触れ合いのチャンスを作るのは難しい。
日が暮れた。サンフランシスコ見物をあきらめ、帰ることにした。グレイハンドバスターミナルへ行った。そこで私は朝の6時まで12時間ほどの足止めを食らう羽目になった。ただその12時間はホームレスとの「貴重な」触れ合いの時間となった。見たこともない、聞いたこともない、開いた口が塞がらんばかりのサンフランシスコのホームレスの生き様との触れ合いを経験した。
≪続く≫