「フリムン徳さんのアメリカ便り」第38号
「サンフランシスコの夜と昼と裏と表」(2)ホームレスの生き様
                                    

2007.12. 20

「あっー、汚い、こんなトイレは使えない。」
トイレのドアを開けて、入った途端に、逃げ出したくなった。でも入ったからには用を足さねばなるまいという義務感がある。トイレのフロアー中、トイレットペーパーが撒き散らされている。辛抱して、つま先で歩くような感じで、トイレットペーパーの隙間を歩いた。トイレの個室のドアを開けてみた。スーッと私の義務感が逃げるようだった。大便器の蓋はクモの巣を張り巡らしたように、鋭い刃物の先か何かで、落書きがされている。便器にはトイレットペーパーが浮いたままで流されていない。もう一つ隣も同じだ。私は両お尻にピクッとひと力を入れて、大物は辛抱して諦めることにした。小物だけにした。不思議なもので少物も遠慮して思い切り出ない。人間の身体の中から出る臭いものも場所を選ぶようだ。手を洗おうと、洗面器の前に立ったら、二つの洗面器の前の大きな鏡が二つとも割られて、跡形もない。鏡のないトイレや。ここはサンフランシスコのグレイハンドバスターミナルの午後6時過ぎのトイレだ。

 私が乗るバスの便はそう多くない。予約してあるのは朝6時半のバスだが、夜中12時50分発のバスに乗るために待つことにした。まだ7時間もあるが、待合室で待つことにした。5人か6人掛けの待合椅子が真ん中の通路を挟んで右左に5つずつ並んでいる。20人ほどの人がバスを待って座っている。ほとんどの人が二つの座席を占領して、鞄を枕代わりに、半分斜めになって正面の天井のテレビを見ている。テレビがCNNニュースをしゃべっている。私はテレビに集中できない。遠くをこちらへ向かって走っているバスを心の中でぼんやりと、待っているような感じでテレビを眺めている。そのテレビの下を通ってすぐ突き当たりを左右に曲がると男用と女用のトイレがある。

 夜7時頃になると、冷え込んできた。隣のTシャツ一枚だけのフィリピーノの若者が両腕を交差にして、自分の腕をこすり出した。ジャケットを着ている私まで寒さが移って来るようだ。かわいそうなくらい忙しそうにこすっている。この待合室にはヒーターがない。世界中の観光客が押し寄せる有名なサンフランシスコのグレイハンドバスターミナル。ヒーターのない寒い待合室。鏡のない、汚く荒れ果てたトイレ。用を足したくないトイレ。フリムン徳さんには信じられまへん。この原因はいったい何か、犯人はいったい誰か。
 
 夜も更けて冷え込みはいっそう厳しくなった。待合椅子の通路を通って、テレビの下を通り、左側の男トイレへの行き来の人が多くなった。ホームレスのようだ。次から次という感じでやってくる。彼らは座っていたら寒いから、トイレを中心にそこらじゅうを歩き回って、夜を過ごし昼に寝る、ホームレスの生活の知恵のようだ。隣の若者もとうとう、彼らのように待合室を出て廊下を行ったりきたり、歩き出した。寒くてじっと座ってはおれないようだ。その時、とうとう私は脱いだ。彼があまり寒そうだから、「これを上げるよ」と私はジャケットの中の冬物の長袖のシャツを着せて上げた。私はジャケットの下は薄いランニングシャツだけになった。これも人助けと思ってやった。喜界島の美代ねえなら、「フィーサミー、キムチャギサヤー」と言って、こうするなあと思った。隣同士座ったのも、一言のやりとりも、これも何かの縁。「自分の温もりを上げる」という名文句が浮かんできた。この名文句が若いおなごはんにだったら、どんなにかうれしい旅の思い出になったのに。これは私の日頃の行いが悪かったからと思う。途端に彼の震えが止まったようで、満足でしたが、私は寒くなりだした。私はジャケットの下にランニングシャツという奇妙な出で立ちになった。でも、これも触れ合いというものでしょうか。これだけでも、忘れられない触れ合いの旅になりそうだ。
 
 ホームレスの徘徊は一向に止まらない。 トイレに来た同じホームレス達は30分もしないうちにまた来て、トイレへ行くのを繰り返す。ホームレスには、黒人、白人、東洋人、さまざまな人種がいる。最も多いのが黒人さんのようだ。ある新聞にアメリカには約70数万人のホームレスがいる。そのうちの19万人ほどは元軍隊出身だと書いてあった。ホームレスの4人に一人が元軍人出身者になる。国を守っていた人が自分のホームがない人が多い。これはどういうことか?喜界島の人口の約80倍の人間がホームレス。喜界島の人は全部住む家がある。喜界島はええなあ。喜界島はみんなが助け合うからやねん、頑張るからやねん。垢がこびりついて、重そうな服を着たものもいる。目つきがおかしい人が多い。アル中か、ドラッグをやっているのだろうか。歩く姿もフラフラ、しどろもどろ、サッサ・サッサと色々だ。キャスター付のおんぼろのスーツケースを引っ張っているのもおる。
 ホームレスの何人かは、「バスの切符を買う金が1ドル足らないからお願いします」と、椅子に座っている人に片っ端から声をかけていく。一巡後、しばらくどこかに行くと、またやって来て、同じように、声をかけていく。バスが出ると待合室は急に人が減るが、またすぐに次に出るバスのお客さんがぞろぞろ入ってくる。彼らはまたこれらのお客さんに同じように、同じ文句を並べて、お金をねだっていく。1ドル札を上げる人がたまにいる。もらったら、すぐに、正面においてある販売機にその1ドルを入れて、クッキーを買う者もいる。バスの切符を買うというのは見え透いた口実だ。1ドル札がないからと5ドルをやる女性がいた。私は「アー、もったいない、やられたか。5ドルは相場じゃない」と悔やむ。フリムン徳さんは見ず知らずの人がやることに余計な心配をしている。
 入り口の大きなガラスドアの端に立っている髭もじゃの汚れ白人は、テレビを見ながら、ポリスが交差点でする手信号の真似を先から飽きずにやっている。どうも頭がおかしいようだ。

 12時50分発の最終便には乗れなかった。翌朝始発6時半のバスになった。夜中の1時を過ぎた。二人警備員がやってきた。待合室にいる人の切符を調べ始める。椅子に座っていた二人の人がサーッと立って出て行った。一番後ろの椅子に座っている二人が、警備員と何やもめている。とうとう、この二人も出て行った。バス待ちを装ったホームレスのようだ。全員の切符の点検を終わると、警備員は入り口のドア、バスのゲイト1番から7番までのガラスドア全部に鍵をかけた。そこは内からも外からも鍵がないと開けられない。入り口のドアは内側からは開けられるが、外側からは開けられなくなった。その後は切符を持っている人を警備員が連れて来てはすぐまた、鍵を掛けていく。ホームレスは待合室から締め出された。

 でもホームレスは、警備員がいなくなるとすぐ戻ってくる。内側から開くガラスドアの外側から、1ドル札をひらひらさせて、自動販売機でクッキーを買いたいそぶりや、切符の入っていないグレイハンドの封筒をしきりに振って、ドアを開けてくれと手招きする。事情を知らないバス待ちのお客さんはドアを開けて入れてしまう。そのうち、彼らは座っているお客さんに順番に声をかけて1ドルを請い続ける。これが彼らの仕事のようだ。世の中には珍しい仕事があるものだ。

 東洋系の青瓢箪の男は、椅子に座っている白人に、お金じゃなくて、携帯を貸してくれと言う。その白人は何のためらいもなく、自分の携帯を貸してやる。そして自分の携帯を気にすることもなく平然と新聞を読み続ける。青瓢箪は必死にボタンを押している。めちゃくちゃどこでもボタンを押しまくっているようだ。足元がふらついている。普通じゃない。でも、新聞を読んでいる白人は一向に気にしない。自分の貸した携帯のことなど忘れた感じだ。私は何が起こるだろうかひやひやしながら、興味津々でこの様子を見守る。青瓢箪はとうとう、通話を諦めて、携帯を返す。白人は携帯をポケットに仕舞い込むと何事もなかったかのように新聞を読み続けている。日本人の私にはこの白人の親切さ、鷹揚さ、気前の良さが理解できまへん。アメリカにはいろんな人がいるようだ。

 朝の4時になった。私が一番興味深く観察していたおしゃれなホームレスがまたやって来た。もう彼は数えきれないくらいこの待合室に出入りしている。黒人男性で30歳から40歳くらい。夕方6時過ぎからもう3回も服を着替えている。初め見た時は白いTシャツ一枚で、腕の筋肉を自慢しているようだった。ホームレスに筋肉を自慢する人がいるとは思いも寄らなかった。今は長いオーバーコートをどっしりと着ている。いったいどこに衣類を隠しているのだろうか、どこで着替えをするのだろうか、秘密の場所があるのだろう。その秘密の場所を見てみたい。

 この筋肉マンの仕事のやり方は一風変わっている。まず、待合室に入るのに、彼は内側から開けられるガラスドアの向こうで、グレイハンドの切符の封筒と、ゴールドのビザカードをヒラヒラさせて、切符を持っているかのように装いドアを開けてくれと頼む。それも俳優並みに悲愴な顔をして真に迫る演技をするのだ。毎日何回もやっていたら、顔つきも演技も板に付いてくるのだろう。必ず誰かがドアを開けることになる。
 待合室に入ったら、この「俳優」はビザのゴールドカードをヒラヒラさせながら、名文句のセールを一人ひとりに始める。「私はそこのレストランで朝食をしたいのだけど、このビザでお金を引き出すには5ドルを先に払わなければなりません。5ドルをお願いします。そして一緒に朝ごはんを食べましょう」。とうとう、一人の白人が引っかかって一緒に下へ降りて行った。30分ほどして、その白人は疲れた顔で帰って来た。

 私はトイレを汚す犯人、鏡を割る犯人も分かった。ヒーターがない理由も分かった。ホームレスは強い!! ホームレスの生きる見事な知恵、それを堂々と、飽きずに実行して、したたかに生きるホームレス。フリムン徳さんも脱帽でした。サンフランシスコ・グレイハンドバス待合室の夜はホームレスに圧倒された12時間だった。ホームレスとの強烈な触れ合いの場所だった。そして、それが「アメリカ人が一番行きたいアメリカの街」サンフランシスコの夜の裏側だった。世界中からいろんな人が訪れる。いろんな変わったことが起きるのも当然のようだ。
 朝の6時30分発のバスは予定通り発車。暖かい車内、柔らかいシートに身を沈めて、「人間観察も楽じゃない」と思いつつ徹夜明けの体はうつらうつらしながら、バスの窓からサンフランシスコを眺めた。それは昼の表側のサンフランシスコの街並みだった。
フリムン徳さん

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