フリムン徳さんです。「フリムン徳さん応援団」の皆さん、ご無沙汰してお
ります。
まずは、東日本大震災で亡くなられた人達に哀悼の念と、被災者の皆様に心
からお見舞い申し上げます。
東日本の地震、津波、そして放射能汚染の被災の様子、毎日、毎朝、毎晩、
ここアメリカのNHKの日本語放送で、これでもか、これでもかと、放送されてい
ます。これだけ同じような悲惨な放送が毎日2ヶ月以上も続くと、見ているフ
リムン徳さん自身も地震、津波にやられ、脳は放射能で汚染されてしまったよ
うな錯覚に陥ってしまって、アメリカ便りが書けなくなっていました。地震、
津波、放射能という催眠術にかけられっぱなしでした。アメリカ便りどころで
はありませんでした。NHKが悪いのです。
でも、落ち込んでばかりいてはおられません、もうここらで、ぱーっ、ぱー
っと、明るく前向き志向で行きまひょう。そこで今回の「フリムン徳さんのア
メリカ便り」は、愉快な元気の出る坂嶺出身レディーの出世物語です。
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「フリムン徳さんのアメリカ便り」第67号
『坂嶺村のレディーはアメリカ人教会のボス』
「ロバート、5月1日のバーベキューデーの肉は、去年より少なく仕入れようね」
「ハイ、わかりました、ハツミ」
「ロバート、飲み物はワイン、ビール、コーラ類を用意してね」
「ハイ、わかりました、ハツミ」
「ロバート、ナイフ、フォーク、ティッシュペーパーは、セットになってビニ
ールの袋に入っているのが便利だから、あれにしよう」
「ハイ、わかりました、ハツミ」
牧師のロバートは初美の言うとおりに従う。
毎年5月の第1日曜日はカソリック教会のバーベキューデーだ。近隣の300人
ほどが集まる教会の一大行事である。初美とアメリカ人牧師の、その日のため
の打ち合わせの会話である。
世界地図では虫眼鏡がなければ見えないあの小さな喜界島・坂嶺村のおなご
はん・初美はアメリカ人の牧師を自分の良きヘルパーだと言っている。初美は
フリムン徳さんの嫁はんでんね。
15年前、フリムン徳さんと嫁はんはカリフォルニア・モントレーのブラッ
ドレーに移り住んだ。モントレーと言えば風光明媚な海岸線と超有名なペブル
ビーチゴルフコースがある。サンフランシスコ見物に来る日本人観光客の観光
コースにもなっている。フリムン徳さんも、ブラッドレーに来る前に観光バス
ガイドの助手として何回か日本人観光客を案内したことがある。もっとも同じ
モントレー郡でもブラッドレーは山の砂漠と呼ばれている片田舎である。
大工の徳さんは長年のビールの飲みすぎで、痛風になり、両足が象の足のよ
うに大きく腫れて大工仕事ができなくなった。シアトルの家を売り払い、サン
フランシスコで日本人観光客相手の旅行会社を始めようと思い立ち、まず、日
本人観光客のバスガイドの助手から始めた。でも、夢は実現できなかった。
とうとう、シアトルの家を売り払った金が底をついた。
「日本へ逃げよう」
と嫁はんに言ったら、反対された。ではどこへ行くか?行くところが一箇所だ
けあった。10数年前に買ってあった、ここブラッドレーの土地である。
15年月賦で7万5千ドル(約615万円)で買った3万4千坪の土地である。幸い
井戸を掘る7500ドル(61万円)と何ヶ月かは生活できるお金はまだ手元にあっ
た。たった1000ドル(8万円)で、おんぼろのキャンピングカーを買い、それを
家として住み始めた。山の中の砂漠、日本人は誰もいない。アメリカ人の村の
中にぽつんと置かれたおんぼろのキャンピングカーが大工の徳さんの住まいで
ある。ホームレスよりはましであった。いいこともあった。掘った井戸から無
色透明のおいしい水がふんだんに湧き出た。
ところがアメリカ人の村だから日本語が通じない。ロスアンジェルス、シア
トル、サンフランシスコと20年ほどの生活は日本人社会での生活だから、英語
が使えなくても生活できた。日本食品も近くですぐに何でも買えた。
でも、ブラッドレーは都会から離れた山の砂漠の田舎村である。住んでいる
のはアメリカ人だけである。フリムン徳さんは、痛い足を引きずりながら、大
工仕事でサンフランシスコやロスアンジェルスへ泊まり込みで行った。日本人
客相手の茶室やすし屋を造る仕事が多かった。
嫁はんはアメリカに住んで20年もなるのに、英語が全くだめだった。アメリ
カで生まれた子供に日本語を覚えさせようとして、家で英語を禁止したのがい
けなかった。移住者一世の一番早い英語の上達方法「子供から英語を習う」を
しなかった。おまけに、フリムン徳さんも初美もアメリカに住みながら、島ユ
ミタ(喜界島弁)ばかりで生活しているから英語が上達するはずがない。
アメリカ人の近所の友達、バブとアルビラに、
「私達は、仏教徒ですが、英語の勉強のために教会へ連れて行ってくれませんか」
と頼んで、カソリックの教会へ毎日曜日、行き出したのが15年前だった。
教会は年寄り夫婦が多かった。毎年何人かのメンバーが死んでいった。バブと
アルビラも死んだ。教会に来るメンバーも減って、毎日曜日に来る常連は4、
5人になってしまった。フリムン徳さんは、“もう、この教会も終わりやなあ”
と感じ始め、教会へはたまにしか行かなくなった。しかし、初美は、通い続け
た。白人ばかりのメンバーの中に日本人は初美だけである。
教会では毎日曜日朝、礼拝が終わると、キッチンホールで、お茶菓子を食べ
ながらの雑談を楽しむのが習慣となっている。教会の回りは民家はまばらで、
人より牛の数の方が多い。人間どうし顔を合わせるのは滅多にない。礼拝後の
教会のキッチンホールは格好の社交場となる。皆、生き生きとして話に花が咲
く。
教会の礼拝は牧師が仕切るが、礼拝後のキッチンホールは初美が取り仕切る。
食べ物、飲み物、香辛料、食器、ナイフ・フォークなどの準備は初美の仕事で
ある。キッチンホールのことなら、すべて、初美が島ユミタなまりの片言の英
語で采配を振るう。
7、8年前まではフリムン徳さんの英語の方が上だった。でも、今では初美
の英語の方が上になってしもうた。初美はキッチンホールでの英語の訓練の他
にアメリカ人の家庭を回ってハウスクリーニングのアルバイトをしており、そ
こも厳しい英語の訓練の場である。フリムン徳さんは、飼い猫の太郎、庭に来
る野ウサギやウズラばかりを相手にしているので英語の上達はさっぱりや。フ
リムン徳さんは英語でも初美に一目置く羽目になってしもうた。
不思議なことにポツリポツリと新しい教会のメンバーが増え始めた。新しい
メンバーが来るたびに、
「ハツミはうちのチャーチのボスです」
と、ロバートは紹介する。
「ハツミ、事務所の鍵を貸してくれ」
「コーヒーは?コップは?どこですか?」
「これはどこにしまえばいいですか?」
初美はてきぱきと指示する。
背の低い初美は見上げながら背の高いアメリカ人に指示して、意のままに動
かしている。何だか頼もしい。小さな喜界島が大きなアメリカを支配している
ようにも思えておかしい。
英語はうまく通じなくても、努力していること、たゆまず続けること、まじ
めなことはアメリカ人も信頼して認めてくれる。そして、その信頼と自分の自
信がその人を強くする。大きなアメリカ大陸で大きな白人達に“このチャーチ
のボス”と呼ばれている嫁はんに、フリムン徳さんはますます頭が上がらなく
なってしもうた。
昔、喜界島の坂嶺村はおとなしい人が多いと聞いていたが、気の荒い小野津
村出身のフリムン徳さんの影響で、初美は強くなったのやろうか。
難儀なことやのう。